甲子園で活躍した高校球児ランキングTOP14【最新2023年版】俺の認める決勝までに活躍した選手一覧!センバツ時代からプロまで上手かったのは誰! | LIFE

甲子園で活躍した高校球児ランキングTOP14【最新2023年版】俺の認める決勝までに活躍した選手一覧!センバツ時代からプロまで上手かったのは誰!

甲子園で活躍したメモリアル選手は誰なのか。

プロでも活躍している甲子園球児とは。

皆さんが印象に残っている選手について、アンケートの結果をランキング形式でまとめ、意見を抜粋してみました。

是非ご参考ください。

14位:菊池雄星(花巻東・岩手)

菊池雄星(花巻東・岩手)高校球児甲子園
14位は菊池雄星(花巻東・岩手)

菊池雄星(花巻東・岩手)が甲子園で活躍した高校球児と記憶に残っている理由(抜粋)

・今まで甲子園では弱いと思われていた、岩手県の高校野球に大きな衝撃を与えてくれた選手です。春は準優勝、夏はベスト4という快挙で盛り上げてくれました。

13位:吉田輝星(金足農業・秋田)

吉田輝星(金足農業・秋田)高校球児甲子園
13位は吉田輝星(金足農業・秋田)

吉田輝星(金足農業・秋田)が甲子園で活躍した高校球児と記憶に残っている理由(抜粋)

・当時東北勢の優勝はまだ達成されていないなか、吉田くん率いる、しかも、公立校であった金足農業の快進撃はとても印象的だった。

12位:根尾昴(大阪桐蔭・大阪)

根尾昴(大阪桐蔭・大阪)高校球児甲子園
12位は根尾昴(大阪桐蔭・大阪)

根尾昴(大阪桐蔭・大阪)が甲子園で活躍した高校球児と記憶に残っている理由(抜粋)

・私が大阪出身なので、大阪桐蔭に注目をしていたのですが、投打に優れ、1年生で4番バッター、ピッチャー、ショート、ライトの三刀流に挑戦するなど、1年生の時から才能豊かな子だなという印象がありました。

11位:成田翔(秋田商・秋田)

成田翔(秋田商・秋田)高校球児甲子園
11位は成田翔(秋田商・秋田)

成田翔(秋田商・秋田)が甲子園で活躍した高校球児と記憶に残っている理由(抜粋)

・自分が東北出身のため、基本的に東北勢の高校球児を応援している。その中で成田選手は、クールな表情でたんたんと投げて勝ち進んでいたことが印象的だった。

10位:桑田真澄(PL学園・大阪)

桑田真澄(PL学園・大阪)高校球児甲子園
10位は桑田真澄(PL学園・大阪)

桑田真澄(PL学園・大阪)が甲子園で活躍した高校球児と記憶に残っている理由(抜粋)

・決して大柄ではなかったが、マウンドに立てば圧倒的な存在感。投手としてだけでなく打者としてもホームランを量産した天才。

・桑田清原コンビの一年からの活躍は本当にすごかった。胸に手を当ててマウンドに立つ桑田選手は応援したくなりました。

9位:江川卓(作新学院・栃木)

江川卓(作新学院・栃木)高校球児甲子園
9位は江川卓(作新学院・栃木)

江川卓(作新学院・栃木)が甲子園で活躍した高校球児と記憶に残っている理由(抜粋)

・歴代最高のピッチャーだと思うから。予選から完全試合、ノーヒットノーランを重ね、甲子園でもバットに球が当たっただけでどよめきが起こった投手はあとにも先にも彼だけである。

・やはり驚異的な投球内容につきます。甲子園でのノーヒットノーランや完全試合など今では考えられない記録です。

8位:松井裕樹(桐光学園・神奈川)

松井裕樹(桐光学園・神奈川)高校球児甲子園
8位は松井裕樹(桐光学園・神奈川)

松井裕樹(桐光学園・神奈川)が甲子園で活躍した高校球児と記憶に残っている理由(抜粋)

・神奈川県予選から、凄い成績を出していて甲子園で投げても奪三振が凄くこのピッチャーはとんでもないなぁと感じた。

・神奈川県民なので、神奈川代表はいつも注目してみているが、松井投手の奪三振ショーは圧巻で、あんなカーブを投げる高校生は見たことがなかったから

7位:藤浪晋太郎(大阪桐蔭・大阪)

藤浪晋太郎(大阪桐蔭・大阪)高校球児甲子園

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7位は藤浪晋太郎(大阪桐蔭・大阪)

藤浪晋太郎(大阪桐蔭・大阪)が甲子園で活躍した高校球児と記憶に残っている理由(抜粋)

・熱い戦いの甲子園のイメージに対して、知的で冷静に見えるのに投げ抜いたところも印象的だったから。

・近畿(特に兵庫、大阪)を応援していて、特に高校野球を観戦している時期に活躍した選手でした。

6位:ダルビッシュ有(東北・宮城)

ダルビッシュ有(東北・宮城)高校球児甲子園
6位はダルビッシュ有(東北・宮城)

ダルビッシュ有(東北・宮城)が甲子園で活躍した高校球児と記憶に残っている理由(抜粋)

・投手の実力はもちろんですが、ハーフということと見た目のカッコよさとから印象に残っていました。背も高く、目立っていたと思います。

・当時の中学の時の先輩がバッテリーを組んでました。2番手の真壁も先輩で、一緒に活躍している姿が今でも鮮明に思い出されます。

・当時は実力以外にもイケメンで取り上げられ、ニュース以外の女性誌でも取り上げられる事があった為、活躍を知る事ができた。

・同世代であり、親近感を覚えました。ハンサムなこともあり、余計印象に残っているのかもしれません。また、いまも現役でメジャーリーグで活躍されており、メディアで目にする機会がよくあるからです。

5位:清原和博(PL学園・大阪)

清原和博(PL学園・大阪)高校球児甲子園
5位は清原和博(PL学園・大阪)

清原和博(PL学園・大阪)が甲子園で活躍した高校球児と記憶に残っている理由(抜粋)

・自分が高校野球を面白いと感じるようになった時、一番活躍していた選手だから。圧倒的に優れた選手が集まったPL学園の中でも群を抜いて身体が大きくホームランを放つ清原の姿が忘れられない。

・ちょうど小学生低学年で、高校野球とういものがあるということも理解し始めた頃で、家族も野球が好きだったのでテレビや新聞で活躍を見ていたから

・一年生からレギュラーで、当時から既に年齢にそぐわない風格もありました。桑田党投手とのKKコンビが印象に残っています。

・夏の甲子園での当時の一大会でのホームラン数最多記録です。決勝戦での山口県代表宇部商業との一戦で宇部商業を応援していました。
憎いぐらいに打つので逆に感動しました。

4位:田中将大(駒大苫小牧・北海道)

田中将大(駒大苫小牧・北海道)高校球児甲子園
4位は田中将大(駒大苫小牧・北海道)

田中将大(駒大苫小牧・北海道)が甲子園で活躍した高校球児と記憶に残っている理由(抜粋)

・早稲田の斎藤佑樹選手との投げ合いや延長引き分け・再試合になったこと、またこの激戦の決着の最後のバッターになったこともあって、強烈に印象に残っています。

・高校3年時の決勝戦での早稲田実業との対戦はすごくドラマチックで記憶に残っている。最後の打席で投手の斎藤佑樹の球を空振りで終わったときの顔は特に印象的だった。

・斎藤佑樹さんとたたかっていて、同世代なこともあり競り合っていたところに印象を感じました。この先も期待です

・今ではありえなくなった、決勝戦が延長18回で再試合、また、再試合でも力投を続けた姿が印象にのこっています。

・まーくんとハンカチ王子の戦いは甲子園の歴史にのこるくらいいい試合だった。
その後のプロでの活躍も含めて素晴らしい

・斎藤佑樹さんとの投げ合いはいつになっても鮮明に思い出せます。試合には負けてしまいましたが、テレビ越しに伝わってくる気迫に感動しました。

3位:松井秀喜(星稜・石川)

松井秀喜(星稜・石川)高校球児甲子園
3位は松井秀喜(星稜・石川)

松井秀喜(星稜・石川)が甲子園で活躍した高校球児と記憶に残っている理由(抜粋)

・年齢が近い選手で。明徳義塾高校との対戦で全ての打席で敬遠だったのが衝撃的でした。それまでそのような采配を見た事がなかったので。それなのに、その事に触れない彼はすごい選手だと思いました。

・高校野球の、しかも甲子園という場で、あんなに敬遠されるというシーンに衝撃を受けたから。勝ち負けにこだわるということがどれだけ重要視されるべきかと社会問題までにもなった。

・5打席連続敬遠はあまりにも衝撃的でした。ゴジラの甲子園でのホームランを見たかったファンも多かったため、ファンが怒ってメガホンをスタジアムに投げ入れ試合が中断されるのもある意味で衝撃でした。

・バッティングが高校時点でプロ入り後と遜色ないように見える程完成されていました。ラッキーゾーン無しの甲子園に軽々と放り込む様は衝撃的です。

・高校生とは思えない体格や顔つきで貫禄がすごくて、5打席連続敬遠という高校野球らしからぬことも起こり、すさまじい選手が現れたという感じがあった。

・活躍というより、活躍させてもらえない。勝負所で、敬遠ばかりされてさぞ悔しかったでしょう。見ているこちらもつらかったが、これが逆に活躍を印象づけました。

・松井秀喜は甲子園で打ったわけではないのですが、高校野球なのに5打席連続敬遠は野球史に残る珍事になると思います。

2位:斎藤佑樹(早稲田実業・東京)

斎藤佑樹(早稲田実業・東京)甲子園高校球児ハンカチ王子
2位は斎藤佑樹(早稲田実業・東京)

斎藤佑樹(早稲田実業・東京)が甲子園で活躍した高校球児と記憶に残っている理由(抜粋)

・なんとなく決勝戦をテレビで見ていたけれど、途中から目が離せなくなって最後まで見て、感動した記憶がある。

・ハンカチ王子としてテレビでもとても取り上げられていたこともあり、とても注目して観戦していたので印象に残っています。

・自分が野球を初めてすぐの頃で、甲子園をテレビで見ていてハンカチ王子という呼び名で連日放送されていたことが記憶に残っているから。

・当時私は小学生で野球のことを全く知りませんでした。野球というスポーツがあるのはわかりますがルールなんて全くわかりません。でもハンカチ王子なの名前が出てきた時にはすごいことはわかりました。

・早稲田実業と駒大苫小牧の決勝戦2試合の熱戦には、釘付けとなりました。後に日本球界を代表することになるマー君に投げ勝ったハンカチ王子。今でもまた見たい2試合です。

・大阪桐蔭との試合で2年生で既に話題になっていた中田翔を完全に抑え、その試合でハンカチを使って汗を拭くのを見てすごく印象的だったため

・高校野球は暑苦しいイメージだったが、端正で品のある選手として注目されていたので興味を持った。決勝戦のマー君との一騎打ちも素晴らしかった。

・普段は全く高校野球を見ないのですが、国家試験の受験日で終了し、帰宅後たまたま観て延長して決着がつかず翌日再試合だったのを記憶しています。

・2回戦の大阪桐蔭戦では、中田翔に4打数無安打3三振。決勝では駒大苫小牧のエース田中将大との投手戦で、延長15回でも決着がつかなく、引き分け再試合というのも印象的です。再試合では田中将大を三振で打ち取り、鳥肌が立ちました。

1位:松坂大輔(横浜・神奈川)

松坂大輔(横浜・神奈川)甲子園高校球児

松坂大輔(横浜高)
第80回選手権2回戦、横浜高6-0鹿児島実高

1位は松坂大輔(横浜・神奈川)

松坂大輔(横浜・神奈川)が甲子園で活躍した高校球児と記憶に残っている理由(抜粋)

・子供ながらに、一人で投げ続ける姿が印象的だったから。炎天下の中で体調は大丈夫なのか、あんなに投げて肩は平気なのか心配で仕方なかったから。

・地元出身の選手ですので知人や家族大勢で応援していました。投手として素晴らしい才能の持ち主と思います。

・ピンチを迎えても表情を変えず黙々と投げ、打者としても手を抜かないプレーは本当に素晴らしく、あれだけの球数を投げても最後の試合でノーヒットノーランを達成したことも素晴らしかったから。

・小学生の頃野球部に入っている時に、横浜高校のエースだったからです。松坂世代が小学生の頃に話題になっていたから。

・私が高校野球に興味を持つきっかけとなった選手だからです。『熱闘甲子園』で『怪物』と呼ばれていたことも印象的で、PL学園戦での粘りのピッチング、明徳義塾戦での試合の流れを変えた登板、そして決勝でのノーヒットノーランは劇的すぎてこれ以上の選手は二度と出て来ないのではないかと思います。

・私自身松坂世代で、とても活躍していたのをリアルタイムで観ていたので印象に残っています。同級生なのにすごいな、と思っていました。

・歴史に残る名場面が多く興奮したためです。例えばPL学園との延長戦、決勝戦でノーヒットノーラン、春夏連覇などです。

・高校時代に関しては、歴代でナンバーワンの実績を残したからです。また、試合内容もドラマチックで、強烈な印象が残っています。

・京都成章との決勝戦でノーヒットノーランは、とても印象的で、この先中々覆ることのない出来事だと思うから。

・甲子園での決勝戦のノーヒットノーランとその前のPL戦での激闘。この試合を見て興奮して寝られないくらい感動した。

・決勝戦でのノーヒットノーランよりも印象に残っているのは、PL学園との試合。あの手に汗握る試合こそ高校野球と思う。

・明徳義塾、PL学園という強豪校から勝ち進み、決勝戦の京都成章との戦いではノーヒットノーランを達成したあの偉業は未だに忘れられないから

・自分自身が高校生の時に甲子園で活躍してたから。普段は野球の話は全然知らないから話はしないけど、話題になっていたなぁと思う。

・平成の怪物と呼ばれていたのを今でも思い出します。横浜高校とPL学園の対戦で野球を知らない私でも知っている有名な試合だった。

・甲子園をテレビで見ていて、アナウンサーも興奮し、見ている私たちも応援してしまったからです。野球部全体が強かったですが、抜きんでていました。

・決勝のノーヒットノーラン、準決勝の5点差逆転勝ち、準々決勝の延長17回、一つの大会であれほどドラマを見せられた年はなかった。

・PL学園との延長戦も印象に残っているが、決勝戦でのノーヒットノーランが素晴らしく、強烈に印象に残っているから。

・当時は投球数制限もない時代でした。強豪校との連戦で疲れているはずなのに、決勝戦でノーヒットノーランを達成させたのがスゴイ!